正木署長からお電話でございます

 そのとき、奥の方から一人の警官が、急ぎ足で入ってきた。「検事どのに申上げます。只今、正木署長からお電話でございます。玉屋邸から懸けて参っとります」 検事は、その声に席を立っていった。帆村は、引返そうとする警官をつかまえて、莨《たばこ》を一本所望した。警官はバットの箱ごと帆村の手に渡して、アタフタと検事の後を追っていった。 帆村は、バットを一本ぬきだして口に咥えた。そして燐寸《マッチ》を求めてあたりを見まわしたが、このとき室の隅に、立たせられている鴨下カオルと上原山治の姿に気がついた。「おお上原さん、燐寸をお持ちじゃありませんか」 と、帆村はその方へ近づいていった。 張り番の警官の方が愕いて、ポケットから燐寸を押しだして、帆村の方へさしだしたけれど、帆村はそれに気がつかないらしく、「いや、どうもすみません」 と、上原青年の貸して呉れた燐寸を手にとった。そしてバットに火を点けて、うまそうに煙を吸った。「――東京は、わりあいに暖いようですね」「――はア暖こうございましたが」 と、上原青年は眼をパチパチさせた。「今朝早く、鴨下さんを迎えにゆかれたんですね」「はア――そうです」「雨のところを、大変でしたネ」「ええッ――そうでございます」「あの、板橋区の長崎町も、随分開けましたネ」「あッ、御存じですか、鴨下さんの住んでいらっしゃる辺を――」「いや、こうしてお目に懸るまで、存じませんでしたが」

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