資格の無い當局

 ゼフィリーン夫人はその返事として溜息をついた。そしてその身振を見ると、資格の無い當局の前に屈する人のやうに、已むを得ず言ひなりになるといふやうな樣子であつた。 その日の午後觀測所はたうとう塞がれてしまつた。向ふ側のその孔の前に箪笥が持つてこられたのであつた。これはてつきりあの英國人の意地の惡い入智慧に相違ないと考へて、サイラスがこの不幸を嘆いてゐる時、門番が彼の處へ一通の女文字の手紙を持つて來た。それは綴りの餘り正しくない佛蘭西語で記されて、署名は無く、そして頗る熱烈な言葉で、この若い亞米利加人に、その夜の十一時にヴィエー舞踏場のある場所へ來て貰ひたいと招待したものであつた。彼の胸の中では好奇心と臆病とが長い間鬪つてゐた。ある時は全くしをらしい氣持になり、またある時はすつかり熱烈な大膽な氣持になつた。そしてたうとう、その夜の十時にはまだ大分間があるのに、サイラスは申分のない服裝をして、ヴィエー舞踏場の入口に現はれて、相應に面白くない事もないやうな向ふ見ずの惡戲氣分になつて、入場料を拂つたのであつた。 それは謝肉祭の時節で、舞踏場は人が一ぱいで、頗るざわめいてゐた。その華やかな燈火や、群集の騷がしさで、吾等の若い冒險家は始めはいさゝか尻込みを覺えたのであつた。しかしやがて頭の中が何だか醉つたやうな氣持になつて、自分の本來の持前よりもずつと元氣が出て來たのであつた。彼は惡魔とでも取組むやうな氣持になつて、舞踏の名手然とした態度をして、舞踏場の中を氣取つて歩いてゐた。かうして大氣取りで歩き※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]つてゐる間に、彼はゼフィリーン夫人と、例の英國人とが、柱の蔭で何か相談してゐるのに氣が付いた。するともう、立ち聽きしたいといふ猫のやうな心が抑へ切れなくなつて來た。彼はうしろからそろ/\と二人の方へ忍び寄つて、たうとうその話のきこえる處まで行つた。「あの男ですよ。」と、英國人は言つた。「そら、あの長い金髮の――緑色の着物をきてゐる娘と話をしてゐる。」

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