ヨーヨーとコリントゲーム

     二 ヨーヨーとコリントゲーム

 ヨーヨーがすたれて、コリントゲームがいまだに残存している。 ヨーヨーは力学的の玩具である。これの運動の解明は古典力学だけで間に合う。しかしコリントゲームの方には公算的統計的の要素が入り込む。前者では因果の連鎖が一筋の糸でつづいているが、後者では因果の中間に蓋然《プロバビリティ》の霧がかかっている。それで、前者では練習さえ積めばかなりの程度までは思いのままにあらゆる有様を再現することが出来るが、後者の方では二度と同じ結果を出すまでに何度試みを繰返さなければならないかを、確実に予言することが出来ない。 それだからヨーヨーは生真面目で、人を緊張させる傾向があり、コリントはどこかとぼけていて人を笑わせる。そうして前者は個人的であり、後者は衆団的である。 夏の頃、神田の夜店の中に交じってコリント台を並べて客を待っているおばさんやおじさんが数え切れないほどあった。こわい顔のおじさんや、浮かぬ顔をした小僧さんのところよりはやはり愛嬌のいいおばさんの台にお客が多くついているようである。鉄球をころがしているお客も、見物している人達も、番をしている商人も一処になって時々笑い出す。天下泰平の趣がある。ヨーヨーの緊張時代のあとにコリントゲームの弛緩《しかん》時代がめぐって来たものと見える。 三原山投身者もこの頃減ったそうである。

      三 へリオトロープ

 よく晴れた秋の日の午後|室町《むろまち》三越前で電車を待っていた。右手の方の空間で何かキラキラ光るものがあると思ってよく見ると、日本橋の南東側の河岸に聳《そび》え立つあるビルディングの壁面を方一尺くらいの光の板があちらこちらと這い廻っている。それが一階の右の方の窓を照らすかと思っていると急に七階の左の方へ飛んで行く。そうかと思うと、ゆらゆらとゆれ動きながら三階の窓を片端から順々に照らして行くのである。誰か旧|魚河岸《うおがし》の方の側で手鏡を日光に曝《さ》らしてそれで反射された光束を対岸のビルディングに向けて一人で嬉しがっているものと思われた。こういういたずらがいかに面白いものであるかはそれを経験したもののよく知るところである。小学や中学時代に校舎の二階の窓から向う側の建物の教場を照らして叱られた人も少なくないであろう。

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